だから早く君だけの僕になれ

ジャニーズとハロプロ

工藤遥ちゃんの卒業発表を受けて

2017年4月29日。わたしの推しである工藤遥ちゃんが今年の秋ツアーをもってモーニング娘。を卒業することが発表された。

 

卒業で荒れているツイッターのタイムラインを見て、ああ、こんなにも早かったか。と思って、でもわたしはすぐに、あっさりと納得してしまった。女優になりたい、演技がしたいと言い続けていた遥ちゃんが卒業する未来はそう遠くはないと頭の中でずっと分かっていたし、よく友人ともそのような話をしていた。

 

「演技することに専念したい」

わたしの世界でいちばん大好きな女の子が、自分の娘みたいに妹みたいに可愛くて、そしてときにはその細すぎるけども逞しい背中に恋をした、そうやって大事に大事にこの2年半愛でて来た女の子が、アイドルになるという夢を叶えて新たな夢を見つけて、そこに飛び込む覚悟を決めた。すごく嬉しいことだ。17歳という若さでそんな決断をすることができる彼女を応援できて嬉しい。2年半前、遅かったけれど、広すぎるほどの世界で彼女を見つけることができて幸せだ。そしてわたしはこれから新たな夢を叶えていくであろう遥ちゃんを、今度はゼロからこの目で見届け応援することができるのだ。すごく嬉しい、すごく誇らしい、すごく楽しみ。きっとまた、いま以上に彼女に恋をしてしまう

 

それでもわたしは、悲しくて、寂しくて、同時にとても悔しくて、涙が止まらない

 

モーニング娘。を好きになったのは2014年、当時モーニング娘。'14のリーダーであった道重さゆみちゃんが卒業発表をしたころだった。幼稚園生から小学校低学年にかけての頃、わたしは親戚の家で従姉妹と集まってはモーニング娘。の曲のダンスの練習をし、親戚の大人に見せては拍手をもらってニコニコしていた。モーニング娘。が大好きで、ごまきが大好きで、加護ちゃん辻ちゃんが大好きで。ごまきの卒業公演や5期オーデ映像のビデオテープは何度も何度も繰り返し再生した。道重さゆみちゃんが卒業するというニュースに、わたしはひどく衝撃を受けた。モーニング娘。はまだいたのか。道重さゆみちゃんはまだいたのか。わたしの知っている大好きだったモーニング娘。はついにいなくなってしまうのか

 

わたしは勝手に、工藤遥ちゃんがモーニング娘。のリーダーになって、そこにはぽんぽんもはるなんもあゆみんもいないけど、まーちゃんがいて小田ちゃんがいて、その2人に負けないスキルを持った遥ちゃんが真ん中に立って、「リーダーの工藤遥です」と挨拶する未来を夢見ていた。ソロパートがたくさんあって、シングル曲でセンターに立ってMステに出てタモリさんの隣に座って。モーニング娘。のアリーナツアー、というわたしの夢には当たり前のように工藤遥ちゃんがいて、彼女はわたしの夢の中で堂々と真ん中に立って後輩に囲まれて幸せそうに笑ってたまにちょっぴり泣いて、そうやってどんどん大人になっていた。ライブMCの最後で長ったらしい挨拶をしてまーちゃんに「長い!」って怒られたり、小田ちゃんに軽口を叩かれてプンプン怒ったり、わたしはそういうふうに生きる工藤遥ちゃんをいつまでも客席の上の方から双眼鏡で眺めているのだと思っていたし、「工藤遥ちゃんがなかなか卒業してくれないからいつまでもヲタ卒できない!もうアラサーなのに!」だなんて嘆くつもりでいた。そうしながらできる範囲でひとりでの演技のお仕事なんかもして、どんどん有名になって、いつか、10年後とかに、遥ちゃんがようやく卒業発表をして、その発表がさゆのときみたいに大きなニュースになって、またそれをきっかけにモーニング娘。に新たなファンがつく。

そんな未来を、わたしは根拠もないのに夢見て信じて、そうやってこの数年、彼女を見つめてきた。

 

ヲタクであるわたしは、いつの間にか工藤遥ちゃんの夢を自分の夢に置き換えるどころか、彼女の人生を乗っ取って自分勝手な夢を見ていた。わたしの夢は、もう叶わない。

 

工藤遥ちゃんはなにも悪くない。確かに工藤遥ちゃんはまーちゃんが卒業するまでは、とか今は卒業は考えられない、とか10年後も変わらずにいたい、とか言ったけれど、彼女はなにひとつ悪くない。だって工藤遥ちゃんの人生だ。工藤遥ちゃんが好きなように、やりたいように生きるべきだ。

 

 

いつだか工藤遥ちゃんがライブより舞台のほうが好きだという旨の発言をした際に、わたしはひどく憤慨した。だって歌って踊るのが仕事のアイドルなのに、歌だってダンスたってまだまだ伸び代があるのに、遥ちゃんの上がグループ内だけでさえたくさんいるのに、苦手なことから逃げるように得意な演技にばっかり、って思ったことがあった。

 「演技がやりたい!」と言いながら

歌って踊るステージに立つ違和感

今日のブログでのこの文章。遥ちゃんがこれを感じはじめたのはいつからだろう。遥ちゃんはずっと、頑張っている人だった。演技だけじゃなくて、苦手意識も強かったであろう歌もダンスもきっとわたしなんかには想像できないほどの努力をしたのだろうなと思うし、わたしが見てきた遥ちゃんはそれらのスキルを確実にぐんぐん伸ばしていた。遥ちゃんはいつからこの違和感と戦いながらわたしみたいなオタクの夢を叶えるために努力をしてくれていたのだろう。勝手な夢を見てごめんね。ありがとう。

 

ついでにガチ恋拗らせヲタクだからって痛いポエムばっかり書いちゃってごめんね。

 

 

いつだって真っ直ぐヲタクと向き合って、「おめでとう」と「ありがとう」を何度も重ねて、ニコニコ笑ってくれた遥ちゃんはわたしの生き甲斐。明るくて、華やかで、いつもキラキラしていて。いっぱい笑っていっぱい泣いて、たくさん努力して、みんなに気を配って。みんなに優しくて、みんなに愛される遥ちゃんはわたしの光です。

 

 

鞘師のときも、香音ちゃんのときも、℃-uteのときも、わたしはなぜか時間があると信じて疑わずに、行動に移すことをせずにいた。でも時間はちっとも優しくなくて、そんな呑気なわたしを置いてあっという間に流れていってしまう。遥ちゃんも、わたしが呆然と立ち尽くしている間にきっと夢に向かって、どんどん遠くに行ってしまうのだろう。

さきほどようやくファンクラブに入会しました。怖くて行けなかった接触系のイベントも、なんでも全部行くぞ〜!という気持ち。

 

 

これからの時間は思い出作りだと言う遥ちゃんだけど、これからの半年という短くて長い時間のなかで、遥ちゃんはまたわたしのため、わたしたちのために尋常ではない努力をするのだと思う。アイドルとして、たくさんのレッスンをこなして歌もダンスもスキルアップするのだと思うし、たまには大好きなお菓子もラーメンも我慢したりなんかして、いまの100万倍くらい可愛くなっちゃうのだろうなとも思う。それが嬉しくて、幸せで、なんだか憎らしくも思う。アイドル辞めちゃうくせに。女優になっちゃうくせに。

 

 

遥ちゃんが新しい道に進む決意をしたというのに、わたしはまだそれを素直に応援できそうにない。嬉しいのに、喜ばしいことなのに、わたしはわたしが勝手に見た夢が叶わないことが悔しいし、3つも下の小さな女の子に自分の夢と呪いのような愛情を長い間押し付けてしまっていたことにようやく気づいて絶望している。きっと重たかったでしょう、苦しいこともあったでしょう、ごめんね。

 

 

胸中の思いも文章もなにもかも纏まらなくて、モヤモヤが涙に変わっていつまでも泣き止めなくて、それでもなんとか飲み込みたくて世界一大好きな女の子の決意を何度も何度も読み返す。苦しいよ、しんどいよ、寂しいよ。

 

 

でも大好きだよ、やっぱり愛しているよ。遥ちゃんがすべてだよ。大好きな、世界一の自慢の推しだよ。工藤遥ちゃんが世界でいちばん幸せになりますように。